アニメと漫画とFXとその他いろいろの雑記帳

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 8巻 感想

コメにしようかと思ったけど文字数オーバーだったので記事にする



>ゆきのんは、本当はどうしたかったんだろうか

八幡との仲直りです。
私は葉山隼人とは違うというところを見せようとしたのだと思います。
助けを必要とすることで示そうとした。
私はもう貴方の行動を自己犠牲とは思わない。貴方の誇りを汚したりしない。
だからもう一度助けに来て、と。

そして、ゆいが生徒会長なんていいださなければそれは成功するはずだった。
生徒会室兼奉仕部部室にすればいいだけですから。
副会長 ゆい。
庶務 八幡。
会計 葉山。

きっとその話は先生にもめぐりにもしていた。
きっと八幡ならそうやって自分を助けに来る、と。

そうやって自分の母親に嫌われたくはないという思いすら自分のために利用した。
今回、ゆきのんが生徒会長になった場合のメリットは何だったのか。
一つは上にも書いた母親の期待に応える。
でも本当の理由は
生徒会長になってまで助けてくれる八幡。
もしくは、庶務として一年間付っきりの八幡。
負けても勝ってもどちらに転んでもゆきのんにはおいしい話だった。

でも、ゆいの失策で全て駄目になった。
なぜなら、ゆいが生徒会長になるといってそれを変えさせることは八幡には絶対に出来ないし、させてはならないから。

ゆきのんが怒っていたのは自己犠牲じゃないんです。
ただ単に自分の抱いていた妄想が腹立たしかっただけ。
八幡は全てを救う人。誰かを特別にしたりはしない人。
そんなことは理解していたはずなのに、どこかで思っていた。
「私だけは特別なんだ」と。
でも違った。
海老名だろうが、葉山だろうが、いろはだろうが救いを求められれば助けてしまう。
別に自分だけが特別なわけじゃない、とそれに気づいてしまった。

八幡は都合のいい人間なんです。
救いを求める人間の心の内側まで入り込んで救うことに特化した。特化型葉山なんです。
いつも傍にいてくれるわけじゃない。でも、何を言っても、何をやっても許してくれて。そして、肝心な時にはいつだって助けてくれる。
だから、嫌われたくなくなる。
八幡の望む自分であろうとする。
たとえば、サバサバ系に、おとなしい系に。
そして、毒舌、めんどくさい系に。

いろはすが最後に少し変化したのもそのためだと思っています。
そしていつか痛みと共に目を醒ます。
戸部については省略しますが、きっと負けたくなくなったのだと思います。
八幡に少しだけ近づきたいと思った。
もっと海老名や葉山の心の内を知りたくて。
自分の浅さのせいで傷をおった八幡に報いるためにも。

話がそれましたけどゆきのんが失ったのは
八幡が特別優しくしてくれる、いつでも守ってくれる私。
だと思います。
小町が大昔に失ったもの。折本がようやく失ったもの。一色が失うであろうもの。
でもきっとゆいだけは真実に気づいているんだと思います。
ゆきのんだけが特別だと。
ヒッキーが全てを救うのはゆきのんに嫌われたくないからだ、と。
いつだってゆきのんのことしか見えてないんだ、と。
そして、あねのんは知っている。
繊細で弱い雪乃ちゃんが強くなったのはあの子に嫌われたくないからだ、と。
そういうことだったのかなと思います。

誰にでも優しいというのは、誰も特別じゃないってことなんです。
誰も好きになったことがないということ。

そして、個人的には話は過去へと向かうのだと思います。
三人が何もなかったように振舞う過去へと。
他には絶対にしないような声の荒げ方をする、三人。
葉山と雪ノ下ともう一人がかつて共にいられた幸せだった時。
そして、三人でいられなくなった時へ。
きっとゆいも三浦も戸部もみんながわかっている、でも聞かないことに。
そして全てに決着をつける。
あねのんの望むあねのんに負けない自分になろうとする葉山。
自分を守ってくれる誰かのために強くあろうとする雪ノ下。
いつだって自分に頼ってばかりの雪ノ下の憧れを壊さないために自分を殺して全てを救う、いなかったことにされた誰か。
かつては間違えたことでも今回はきっと間違えないことを祈ります。
はじめから選ぶべきは雪ノ下であって、葉山は関係なかったということを。


ここまではコメ分。

それが八幡が作者に出来る唯一のことだと思う。
俺がこの作品を見たときに感じたのは
全てのラノベ、漫画、アニメをあざ笑う
そんな感じだ。
作者の側からどうすることも出来ない設定の中で
八幡達を絶望に落とす。
そうすることで全ての作品に
「お前らの描くのは助けてくれる誰かのいる世界での死なんだ」と。
そうなるのだと思っていた。
誰も助けられない世界では八幡はこうなるしかないんだ、と。
そうGTOやクラナドに、もっというなら武装錬金に剣を突きつけるのだと思っていた。
それでもきっと上で上げた連中はその程度の剣など一振りで斬り捨てる。
その程度の作品だと思っていた。
俺がかつてのテラフォーマーズに感じたものと同じ。
でも、今は違う。そんな気がする。
僕は友達が少ない。そこへ来た気がする。
「俺は主人公じゃないからどうすることも出来ない」
あれは作者の声だったのではないかと思う。
作者の力を使える設定じゃない、だからこそどうしてやることもできない。
でも、愛おしくて仕方がない。何も出来ないことがもどかしいほどに。
そう多分、宮崎駿のいうものにはそれが付きまとうのだと思う。
空想という意味じゃないファンタジー。
それは作者が魔法を使えない世界。
その世界に生きるもの達に命を与えながら何もしてやれない世界。
それでも救いたい何かに出会ったとき作者は禁を侵す。
何とか彼らを救うための魔法を使う。
自分自身が敷いた法を自分で捨てる。
今回のあねのんやゆいにはそれを感じた。
あぁ、作者はこの二人を殺すことにしたのだと。
そして、自分の操り人形にすることに決めた。のだと。
それはきっと俺が初めに感じたものを破らないと出来ないこと。
普通は、自分のルールを破るというとマイナスな感じがする

でも何故か今回の作品からは逆の印象を受ける。
自分自身すら殺して戦うものの覚悟を感じた。
死んでも守りたいものもつ者の強さを。
この作者はゆきのんの涙を、ゆいやあねのんの無念?の涙を拭う覚悟を決めたのだと。
誰にも近寄ろうとすらしない、誰も特別でない場所から。
誰かのために誰かの近くに行くことにしたのだと。

だからこそ思う。
前に感じたものはきっと間違いだったのだろうと。
人はそんなに簡単には変われない。
きっとこの作者はもとから持っていた。
テラフォーマーズと、ブリーチと、ワンピースと、ナルトと、
もっというならホリックや七つの大罪と戦うだけのものはもっていたのだと。
多分今ならただの一撃で殺されることはないだろう。
悪あがきしても守りたいものを得たのだから。
だから思う。
きっと八幡は今度こそ間違えない、と。
作者が間違えさせない。
必ずハッピーエンドに変えてみせる。と。
たとえその手をどれほどの血で汚そうとも。

今後に期待できる作品になってきた、そんな気がした。
だから思う、きっと残りはそれほどないのだろうと。
個人的にはいっても後3巻とらドラと同じだと思っている。
でももっと短いかもしれないとも。
昔、タイガー&バニーで書いたことがあるけれど
人間は二つの電池が積んであるんだと思う。
一つは充電式だし容量も多いだけど出力の小さいもの。
もう一つは充電できないし容量も小さいだけど出力の大きいもの。
前者は生きがいとかそういうもので言われるもの。
後者は命そのもの。
通常はみんな命の電池は放電状態で使ってすらいない。
でもたまにそれすら使ってしまう人がいるのだと思う。
サイバーフォーミュラのブリード加賀のように。

きっとこの作者も同じ。
作家としての命を使い始めてしまった。
そんな気がする。
だからこそそれほど長くない、と思う。
そしてこれが終われば当分次は出てこない。
もっというならハルヒになる可能性すらあると思う。
いや、ハンターハンターか。
でも、もしかしたら復活するかもしれないとも思う。
限りある時間で不死というろくでもない存在になれるほどに突き詰めることが出来たなら。
ホリックやネギま、七つの大罪。
あのクラスに食い込むかもしれないとか思った。
そんな8巻だった
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spec 天のテレビ放送見た。

ファティマ 第3の予言


どっかの先週の占いでは
不思議な経路を辿りながらもまっすぐ自分の手めがけて飛び込んでくるものがある
とのことだったけど。

こいつのことだったのかもしれないとか思った。

一群の兵士が殺した聖職者。

きっとそれは「世界」なのだと思う。

世界というテーブルを囲みふんぞり返っている連中。

不死というろくでもないものになって世界を維持してきた連中。

神に向かう霊魂というのは多分兵士達。

兵士達は先代の「世界」皆殺しにしてその血をすすり次の神(世界)へとなる。

そして兵士達はこう思う。

死んだほうがよかった。

こんなことしなくてよかった。と。

かつての「世界」達が背負っていたものを背負ってはじめて気づく。

その絶望を。

永遠ともいえる苦痛を。

多分、殺される連中はわかっていたのだと思う。

天使(神の使い)を退けたマリアのように。

自分達を殺す者達こそが救いである、と。

多分、本文を見て卒倒したとされる教皇はきっと見えてしまったのではないだろうか。

キリスト教の終わりを。

もっと言うなら世界の全ての終わりを。

それでも公表しなかったのはきっと解かっていたのだと思う。

それを子供たちに話した存在の意思を。

きっと子供達にそれを話した存在はもう疲れ果てていたのだと思う。

そう、最期の賭けだったのだと思う。

子供の言葉を信じるか、を。

まだ自分の言葉が届くのかを。

だからこそ、公表しないのだと思う。

公表しなくてもその言葉は届くはずだと。

人間を信じている、だから何も言わない。

知ってから行うのと知らずに行うのでは違う。

きっとそのうち公表するんじゃないかと思う。


全てが終わった後に。


そう多分もう始まっている。

世界の声は多くの人へと響いて、そしてそれはさらに多くへと伝播されていっている。

specというのは多分そのうちの一つだったのだと思う。

ピングドラムや7つの大罪(神契り)達と同じ存在。

ブリーチは最高のタイミングで来たのだと思う。

だから俺も使わせてもらう。

今世界を背負っている連中、危なくなっても俺が行くまで世界を持たせてくれ。
俺が必ず何とかするから。


とかバカのことを書きたくなった今日この頃。



そして、黒子の脅迫事件について

どこかの教授はツタヤの対応を客の命を優先した結果だからど~のという。

でもそれでいいのかと思う。

ツタヤの守るべきものは客がそれを見る機会じゃないのか。

言論の自由というのは言うことの自由じゃないと思う。

誰かの吠えたそれを論じ合う自由だと思う。

ツタヤの始まりがどうかなんてのは知らない。

でも本を貸すのもビデオ貸すのも、大元は一つだったのだと思う。

人がそれに出会う機会を守ってきたんじゃないのか、と。

多分ツタヤがつぶれたらそれすらという人もいるかもしれないが別に同業者はツタヤだけじゃない。

ツタヤの経営陣も覚悟決めるべきだったのだと思う。

黒子はちゃんと言った。
「今翔べない奴は一生翔べない」
アニメはちゃんと言った。
「わかっている、一緒に伝説を作ろう」と

暗殺教室も援護した。
「信頼しているから解かる」と

ツタヤは客をもっと信じるべきだったと思う。
脅迫を公表した上で屈しない宣言すればよかったと思う。
潰れても店舗と従業員の保障だけ同業者と取り決めて戦争すりゃよかったと思う。
それぐらいの覚悟で会見すればある意味で伝説になれたと思う。
図書館戦争ばりの。
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